私がSONYを使う理由:パート1

シリーズ第1弾:私がSONYを使う理由

タイトルそのままの内容w

たくさんあるので、小分けにして書いていきます。

Photo by 木村 直軌

子供の頃の話

えー、わたくし公言しておりますが、写真家であって写真機家でもあります。写真に関するアイテムグッズは、好きです。ライトも三脚も、特にレンズ。レンズに関して言えば、「大口径」なんてジャンルのレンズは、大好物であります。

そんな私なので、古今東西さまざまなカメラを使いましたし、所有しています。どんなラインナップかはおいおい出す予定。

さて、記憶がある限り一番最初に触ったカメラは多分3歳ぐらいの時で、富士フイルムのゾーンフォーカス式のコンパクトカメラ(ピントがマーク式で、バストアップ、人ひとり、3人、山と切り替えるタイプ)で、花火を長時間露光しながらカメラをぐるぐる動かした、でした。父に褒められたので、覚えている感じです。その後も写真には興味があって父のカメラを持ち出したり、祖父と一緒に暗室入ったりしていました。

最初のマイカメラは、キヤノンA-1と100mmF2.8を父から与えられました。その後そのまま高校生まで使っていました。あ、写真部とかには所属しませんでしたよ。

Canon A-1 + FD 100mm F2.8 S.S.C.

未だに所有していますw

 

大学生の頃の話

高校3年の受験で、日大芸術学部写真学科に合格しました。ほっ。父からは大学合格祝いとして、キヤノンのNew F-1と85mmF1.4をもらいました。嬉しかったですヨォ〜。ところが、写真基礎というクラス単位でお昼からエンドレスでやる授業があって、初日に鈴木先生から「今まで写真をやったことある人も無い人も全て、これから先の1年間は、50mmレンズのみを使います。ズームはダメ。持っていない人は用意するように」というお達しがありました。泡食った私は、即父に相談。するとここで今後の私の写真人生の根源となるカメラを入手することになったのです。それがコンタックスRTS 2とプラナー50mmF1.4という組み合わせでした。このころ父はコンタックスにはまっていて、ボディに余裕があったことと、父自身は50mmを使わなかったので、新しくキヤノンの50mmを買わずに、手持ちのカメラを送ってきた、という単純な理由だったんですけどね。

先の通り写真部にも所属していない、写真の知識といえば家族や従業員ぐらいから得たもの。コンタックス?なにそれおいしいの?ぐらいの感覚でした。しかしそこに援軍到着。それが担任の鈴木先生でした。彼もまたコンタックスが愛機であり、大いに「カール・ツァイスのレンズはいいぞー」とけしかけてくれたのでした。となると、本来の悪戯好きも相まって、友人たちの使う、キヤノン、ニコン、オリンパス、ミノルタ、ペンタックスなどの50mmF1.4を総動員し、同じ場所、同じ距離から同じ被写体を撮影して「せんせー!どれがツァイスのレンズかわかる〜?」なんてやっていたもんです。もちろん先生は当てましたよ。

すっかりコンタックスとカール・ツァイスのレンズ味を気に入ってしまった私は、その後の大学生活ではほぼプラナー50mmF1.4で過ごしました。

ちなみに、私が1番最初に触ったデジタルカメラは、写真学科研究室に来ていたSONYの「マビカ」という「デジタルスチルビデオ」でした。一般発売ではない、研究レベルのカメラがソニーから石井教授の元へ来ていたんですね。その少し後、キヤノンから「キューピック」(Q-PIC)というカメラが民生機として発売になり、父つながりで銀座のキヤノンへ借りに行き(当時はバブルで学生は企業に色々お願いが容易かった)、初めてデジタルカメラを使った作品を作って、学生同士で企画した写真展に出品しました。1989年という写真150周年記念の年の話でしたっけ。

 

大学院生の頃の話

時はバブル崩壊直後の就職氷河期初年度。私は日芸を卒業し、そのまま渡米。ニューヨークに住んで、スクールオブビジュアルアーツへ通いました。1年後に飛び級して、同校の大学院へ進みました。

大学院当時の撮影はほぼ8×10でした。日々の制作も、卒業論文も8×10。並行して、渡米後からはまったのが、デジタル写真。当時のデジタル写真は、カメラがまだまだ発展途上なので、フィルムをスキャンしてMacとPhotoshopで加工、というパターンね。日芸生の頃から大判写真は好きでしたが、そもそもスキャナの能力も低いので、だったら大きいフィルム、つまり8×10を使えばいいじゃん的なスタートだったんですけどね。

そうそう。確かこのころ業界を席巻していた手法が、クロスプロセス。ポジフィルムをネガフィルム現像(C-41)してネガ画像を作って、色を調整しつつプリントして入稿。逆のネガフィルムをポジ現像(E-6)は、オレンジマスクがあるからあまりやらなかった。友人の広告カメラマンのビルは、中判1眼レフのローライフレックス(6000シリーズだったかな)と30mmレンズの組み合わせが大好きで、白黒用のYフィルターをレンズの後ろ玉に付けて、フジフイルムのプロビアを1〜2段アンダーで撮影して、クロスプロセスして、プリントしていたっけな。

並行して日々使っていたのは、やっぱりコンタックスとプラナー50mmF1.4。それ以外には、先輩(師匠)のアシスタントをしつつお金を貯めて「リチャード・アヴェドンと同じカメラ!」というミーハー根性からローライフレックスを買ったりしていました。他にも色々と買ったなぁ。。。

先輩はニコンとハッセルが得意な組み合わせでしたね。私はコンタックス(この頃はレンズも6本ぐらい持っていた)とローライフレックス(80mmだけど)と4×5で、ライトは一時帰国した時に実家から奪っていった、バルカーA1200とヘッド3灯でなんやかんやお仕事をしていました。

 

帰国後の話へ続く。


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コメント

“私がSONYを使う理由:パート1” への1件のフィードバック

  1. […] 前回書いた通り、ニューヨークで大学院生だった頃は、主に8×10カメラを使い、白黒フィルムで撮影をしていました。卒業論文と制作のためでした。被写体は、ブルックリン橋でその真下 […]

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