16年前の9月11日はニューヨークにいた-その1

2017マイナス16は、2001。

ということで、2001年の9月11日は、私、ニューヨークにいました。いたと言っても住んでいたわけではないです。当時は長野青年会議所という団体に所属しておりまして、2001年に同じく長野青年会議所所属の敬愛する土屋先輩が日本青年会議所の会頭というポジションに就任されておりました。日本青年会議所会頭が、初めて国連でスピーチを行うことになりまして、私はセクレタリーという立場で、土屋会頭と一緒に渡米しました。

日本を発ったのは9月10日。この成田へ向かう最中もいろいろとあったんですけどね。前日に大型台風が来て、9日の夕方から長野新幹線が不通。翌日も運休ってことで車で成田へ向かうものの、軽井沢手前で上り線が渋滞。裏道を迂回して草津から群馬まで出て新幹線に乗れたものの、予約していた飛行機には間に合わず。なんとか夕方の便に振り替えてもらうものの、土屋会頭とは別の飛行機になってしまいました。

コンチネンタルエアラインに乗って、遅れてひとりでニューヨークへ到着したのが夜の21時ぐらい。ニューヨークも嵐。ここまで雨に降られるのかとげんなり思ったぐらい、ひどい雨でした。ジョン・F・ケネディ空港には、日本青年会議所の先発隊がお迎えに来てくれました。そのまま皆が集まっているという、ブルックリン橋が良く見える「リバーサイドカフェ」へ行きました。ひとまず、落ち着いた。

で、私はホテルを取っていませんでした。事前に師匠でもある宮本先輩がキープしていた14丁目のアパートへ行きました。宮本先輩からは、「ひとりアシスタントが住んでいる。ウイスキーもいるから、自由にしてくれ。リビングからダウンタウンの方向は綺麗に見えるぞ。特にワールドトレードセンターはまっすぐ先に見えるから」と言われていました。

夜分にアパートに到着し、アシスタントくんには「初めまして」とウイスキーには「久しぶりだなー!」とチューをして、持って行ったPowerBook 2400を開けて、モデムを出して電話回線につなげて、妻に「無事に着いたよー」とメールを書いてから寝ました。確か午前2時ぐらい。

んで、問題の11日朝が来ました。

時差ぼけもあるし、なんとなく起きてしまった時間が、7時。そのままPowerbookを広げて、メールチェックしました。「生きているのね」ぐらいの返信でしたが、まぁ夫婦の会話的なメールはそんなもん。

で、そのまま現状の報告を長野青年会議所の会頭チームへメールを書き始めました。

リビングから外を見ると、昨日の嵐が嘘のよう。雲ひとつない快晴となっていて、「気持ち良い朝だな」って感じでした。

ひたすらメールを書いていたら、アシスタントくんも起きてきて「おはよう」なんて顔を上げた時に、目の端に妙な風景が広がっていました。あれ?さっきと違うぞ。って。

 

異様な感じというのは、目の前に見えていたワールドトレードセンターから煙が出ているじゃないですか!

え?

何?

映画の撮影?

訳も分からず、二人で顔を見合わせて、ひとまずテレビをオン。すぐにニューヨークのニュース専門チャンネルの「New York One」に切り替えました。するとどうでしょう。「Airplane Accident!?」と字幕で出ています。なんのこっちゃ。

で、二人で「どうしたんだろうね」なんて話をしていたら、テレビの字幕が変わりました。

Airplane Attacked!

またしても「え?」と言って窓の方を見ると、ワールドトレードセンターの片側から出ていた煙に加えて、もう片方も。しかも今ぶつかったから発生したのであろう、きのこ雲が見えるじゃない!

Nikon D1 + ニコンのズームレンズ

うわ!これはダメなやつ!

と、ようやく認識ができました。そしてテレビには次の文言が表示されました。

Airplane Terrorism!!

確定でした。

思い起こせば、私が渡米した1992年にもワールドトレードセンターへのテロがありました。大型トラックに爆弾を積んでワールドトレードセンターを根元から倒そうと、地下へ突っ込んで爆発したんです。それの続きかと。

時間は確か8時40分ぐらいじゃなかったかな。外もパトカーと消防車のけたたましいサイレンが鳴り響き始めました。

 

つづく。。。


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