衆議院選挙の投票日は、明日ですね。私は自身の中心から日本を愛しているので、投票先は決定済みで、選挙権取得後以来変化なしです。
さて、法律の基本概念って何でしょう。私は法律の授業を大学で取らなかったので、次は私の脳内解釈です。法とは「私はあなたを殺めない」と言う共通認識を守ります」と言う意味の上に成り立たせていると考えます。そして行動の先には、もしも共通認識を破り相手を殺めた場合、「約束事に沿った第三者によって、私は攻撃されることを了承する」だと考えます。
文章としては「人の命」ですが、物品に置き換えることもします。例えば、お店に陳列している商品は、柵もなく自由に持ち出せるようになっていますが、それはレジで会計することが「約束事」として絶対に守らなければならないからです。レジを通さずに持ち出せば、それは窃盗であり、警察に逮捕され、刑務所へ行くことになるわけです。
このように、人類は集団で行動するようになって以来、自分を守るためにその集団の中で指針となる「法」を築き上げてきました。
ところがこの「法」と言うのは、自らの集団内では効き目がありますが、他集団ではそこ自身の「法」があり、こちら側の「法」を守ってくれない場合が往往にしてあります。戦国時代で言えば、甲斐の守の武田家は、越後の守の上杉家と戦っていました。戦いがないときは、お互いの領域内では何もないのでしょうが、いつ何時、相手が攻めてくるかわからない中、あるいは先に取るか、取られそうになったら守るか、娘を嫁に出してお互い攻めいらないように策を練るか、などを考えていました。
時代を現代に戻します。
現在の私が置かれている「集団」とは「日本国」で、「他集団」とは日本国の領海を越えた先々にある「他国」です。これらの「他国」は、人種も違えば、言語も違えば、宗教観も文化も思想も、「集団内では常識」までもが、異なっています。この「異なった他集団」は、相手にとってこちらも「異なった集団」です。お互いに心底を「自分の集団」同様に理解することは不可能です。
これが大前提で、「日本国」と「他集団」との間に、何も争いごとがなければそれは「平和」と言う名の「お互いに今は何もしないでおこう」と言う猶予期間です。
ところが近年、近隣に「日本を核ミサイルで火の海にしてやるぞ!」と息巻いていると言うか宣言している「集団」がいます。そして困ったことに、ここ数十年に渡って「日本国」はその「集団」に対して「まあまあ、こちら側のお願いを聞いてくれると約束するなら支援するよ」と懐柔と言う対話をしてきたのに、反故してくれました。その上で「攻めるぞ!」と言ってきています。
さて、日本における現代の「法」には、およそ70年ほど前に日本とアジアを我が物にしようとする西洋の国が、エネルギールートである海洋を勝手に引き締めることで日本が困り、やられる前にやらなければ、2000年越えのご先祖様に申し訳が立たない、と先制攻撃で始まった「大東亜戦争」があって、戦いに敗れて、戦勝国のアメリカが「日本人が本気出すとヤベーぞ」で作って守らせているのが「憲法」です。
法律施行後から約70年経ち、経済復興し、「他集団」との関係性も良好になり、発言もできる立場となりました。今現在、日本が他国の領土を「ゲットだぜ!」で攻め込む理由もなければ、もしもやったとしたら約190カ国の「他集団」を一気に相手にすることになるかもしれません。こんな費用対効果が薄すぎることは、ありえません。
先の通り、日本海をほんの少し離れた場所にある「他集団」が、実際に我が国に向けてミサイルを撃つなどの挑発行為や、言葉で「攻め込んでやる」と言われています。数十年騙され、脅かされている「他集団」は、いつ何時暴走を開始するかわかりません。
しかしながら日本には「憲法」と言う「ここに基づいて行動せよ」の方針があります。現状では「日本語の解釈」と言うやや曖昧な方法にて、「他集団」に暴走された場合に、「日本国と国民を守る」ことができるとされています。本来であれば、曖昧な解釈ができない日本語で、やれること、やれないこと、が書かれた「法」であるべきです。なぜなら、「日本国内では日本国内の法をみんなで守りましょう」としているからです。
逆説的に「憲法を破ったら、破った人を誰がどのように罰するのか」と言うことは、実はあまりよくわかりませんのですが、破るぐらいなら見直して明確にしておいた方が良いのではないか、と考えることはあって良いと考えたいです。
間違っても「法」が国民を守っているのではありません。「法」を守るために努力している人々がいるから、保たれているのです。こと、国内と言う「集団」に関しては、です。
私には家族があります。そして私は家族を守ることが、私自身が生きる上で最重要項目です。もしも我が家に賊が入り妻子が危険にさらされたなら、例え手に取ったものがフォークしかなかったとしても、賊と相対し、法を破ってでも、私は家族を個別に守ります。もしかすると機転を利かせた妻が間隙を縫って通報して、第三者である集団に頼って守ってもらうようにお願いするかもしれません。でもその集団は、瞬間移動で我が家に来るわけではないので、やっぱり私自身が個別に賊と先に戦う必要があるでしょう。
もしも私が六法全書を片手に持って左右にヒラヒラ振りながら賊に向かって「お前のやっていることは憲法と民法と刑法に違反しているぞ!」と宣言しただけで賊が退散したら、なんの喜劇かとなるでしょう。あり得ないですね。
と言うように、「最悪の状態になったことを考える」という想像力の中で、物事の設定をして準備することが、「守る」ことだと考えています。
今、日本国に必要なことは、現代の状況に適合しているとは言えない法律の一部である「憲法」を見直して、「他集団」が攻めて来ることができない環境を整備することを可及的速やかに行われるように準備想定しておくべきだと、強く言いたいのです。
私の天敵「ブタクサ」がウヨウヨ!