思い出話が出ておりますが、外伝的な話をひとつ。
ゲームとの出会いからコンピューターへ
そもそもコンピューターが好きになったのは、ゲームが最初です。
インベーダーゲームが爆発的に流行ったのは、私が小学校3年生ぐらいだったと思います。当時弊社には住み込みでお弟子さんがいまして、彼らお兄さんには、私の遊び相手になっていただいたりもしておりました。あー、ジャンプを読み始めた(彼らが買ってきたもの)のもこのころかな。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」や「リングにかけろ」とか、「コブラ」とか。
閑話休題。
もちろん彼らにおねだりをしたことはありませんが、彼らが夢中になってやっていたインベーダーゲームをテーブルの反対側で見ていたのが出会い。その後父におねだりして、100円を投入して興じるようになるまでは早かったと思います。もちろんその前からいわゆる「ビデオゲーム」は百貨店の上には並んでいました。「サーカス」とか「テニス」とか「ブロック崩し」とかあって、それらもちょこちょこやっていましたね。
んで、父からクリスマスプレゼントがきました。テレビに接続してできる数種類のゲーム、それこそ、テニスやブロック崩しなどが入ったタイプね。まー、プレイしまくりました。
同時期に流行ったのが、任天堂のゲームウオッチ。青い筐体の「ファイア」とか赤い筐体の「オクトパス」ですね。発売当初はゲームウォッチの学校持ち込みが許されていましたが、徐々にダメになりました。そこをカバーするかのように登場してすり抜けたのが、カシオの「ゲーム電卓」でした。あくまでも電卓の意味合いで切り抜けていましたっけ。
この「ゲーム電卓」に端を発して私の中に「ピーン」と来たのが、「ポケコン」でした。自分でBASICという言語でプログラムを入力すれば、先のゲーム電卓のようなゲームが作れる!という部分ですね。しかしながら、これは買ってもらうことはありませんでした。まぁ、小学4年生ぐらいの話ですからね。この後も「コンピューター」という「なんかやったらなんかできる」かもしれないものに対して、強い憧れが出ました。たらればの話はよくないかもしれませんが、この時にポケコンをゲットして、BASIC言語をきっちり勉強していたならば、また別の人生だったかもしれません。
数年後の中学生の時の話
ゲームは、ファミリーコンピューターへ進化しました。そしてポケコンは「パーソナルコンピューター」へと進化しました。強く関心を持ったのは、NECの「PC-8001」やシャープの「MZ-2000」など。しかしまぁ、これもさすがに高価なものであったので買ってはもらえず、友人と共に街中の売り場に通う日々が続きました。
そのような中、友人が「PC-9801」を入手しました。コンピューター好きな友人らと共に、彼の家には週末ごとに通い、プログラムを入力をしたり、ゲームをやったり、まー、とにかく楽しんでいました。これも楽しかったですねぇ。当時の雑誌としては、「LOGIN」とか「BASICマガジン」を読んでいましたっけ。
ちなみにこのころアメリカでは、Appleが誕生しました。雑誌の中でもすこーし紹介されていましたが、熱狂的に興味を持ったのは、Apple IIが発売されたころですね。ちなみに何が引っかかったかというと、当時のフロッピー8枚組みの「タイムマシン」というめちゃめちゃ凄く大規模なゲームが発売されて、その紹介記事にドキドキしたのです。今まで国産で見てきたゲームが霞むような壮大な内容、だったような気がします。つーのも、結局Apple IIを見ることも触ることもありませんでしたし、ゲームそのものが動いている映像もありませんでしたから。
さて、中学3年生になりました。もともと運動が嫌いな私は、帰宅部でした。が、新学期早々仲が良かった技術の専任先生に呼び止められました。それは「技術部を作りたいが、君が部長をやってみないか?」というお誘いでした。多分、技術の成績も良かったし、木工をやったり旋盤を使った金属加工も面白くて、時間外にその先生にお願いして機材を動かしてもらったりしていましたから。部長となると大変なことです。そこで私は先生へリクエストを出しました。
「もしも、その技術部にコンピューターを買ってくれるなら、部員も集まるだろうし、部長もやります」
今思えば、とんでもない交渉をしたもんですよね。しかしながら、先生は「待ってました」的にOKを出して、まぁ、友人のパソコンに比べればスペックは落ちますが、NECの「PC-6001」を部に導入してくれました。果たして、部費として学校が買ってくれたのか、先生が個人で買って生徒に使わせてくれたのか、真相はわかりません。部活動としてPC-6001を使った遊びとしてのゲームもやりましたが、プログラムなどを組んでみたりすることを放課後にやっていました。もちろんコンピューターだけではなく、今でいうところの「でんじろう」のように電気を使った実験や、電子部品をはんだごてで組み立てる電気工作や、最終的にはみんなでアマチュア無線の試験を受けて、電話級無線技士をゲットしたりしましたっけね。
そんなこんなで
今の私の性格というか特性というか性能というか「現実的なことからちょっと離れた未来志向で、最新のという言葉に弱い探求者」になったのは、子供の頃に以上のような体験をしてきたからですね。多分。それでも最終的には「写真」を仕事にしているのは、父の影響かと。しかし結局のところ、写真とコンピューターは切っても切れないデジタルな仲間になってしまったので、このような体験があったことは、私の人生にとって非常に良かったことなのだと自分で納得しています。
ひとまず弊社でまだ現役のオールドMac君。さすがにPC-6001は手元にないわ〜w